俳句のページ 勿来を過ぎ |
なこそをすぎ |
一九八七年五月(昭和六二年)水戸・会津への旅をしました。 |
五月二日晴、満席の飛行機は、海上へ一気に飛びたち、船が、天馬のごと小さく
なると耳鳴りを感じる。 あめんぼう |
鋭角に機首あぐ朝の青岬 |
.えいかくに きしゅあぐ あさの あおみさき |
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三日、野口雨情、岡倉天心の愛した地に車を走らせる。
「通りゃんせ」の像が、童歌を呼び起こす。
又五浦海岸の先にある天心の好んだ朱塗りの六角堂にもおりてみる。
天心記念館は、年二回の公開日に当たり、筆塚のある研究所も散策出来た。 |
筆塚は五浦の涯に海桐咲く |
ふでづかは いづらの がけに とべらさく |
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勿来の関跡は、源義家の像も作られ、滴る山は花盛り、胸いっぱいの森林浴を
する。「義家の歌・吹く風も勿来の関とおもえども道もせに散るやま桜かな」 |
余花の山歌碑新しく風渡る |
.よかのやま かひ あたらしく かぜわたる |
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四日、朝八時、大津港から会津若松へ、長距離になれた娘の運転する車で出発。
ダム湖畔に昼休み、若松市に入ると、延々渋滞してその間に「滝沢本陣」を見学、
戊辰戦争の弾痕や刀傷が残っている。夕方やっと東山温泉に着く。
無色透明の湯に、親子三人ほんのりあたたまる。 |
滴りや温泉みやげの張子牛(赤べこ) |
したたりや いでゆ みやげの はりこうし |
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五日、「会津武家屋敷」に入る。家老西郷頼母邸の軍(いくさ)の空しさと悲話伝う、
十六基の臼を搗く戊辰戦時の藩米精米機が動いている。
次に、スロープコンベアーで飯盛山へ登る。香煙たつ墓前に、娘達の剣舞をみて、
十九の墓標と、蘇生した「飯沼貞吉」の墓に手を合わせる。 |
城はるか自刃の山に松葉散る |
.しろ はるか じじん の やまに まつばちる |
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戸の口原から敗走した白虎隊引揚の洞門は山腹にあり、
そこから白虎隊記念館へ下る。 |
わかものの遺品三千夏館 |
.わかものの いひん さんぜん なつやかた |
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「荒城の月」のモデルともなる鶴ヶ城、芦名氏から続いて、いたるところに城を守る
石組が、天守閣から飯盛山を望めば風薫る。 |
城石垣忍者落しも蔦青し |
.しろいしがき にんじゃ おとしも つたあおし |
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無残な歴史の証を胸に、漆器店をめぐり、郷土料理を楽しむ。 |
輪箱飯漆器の里にたら芽食ぶ |
.わっぱめし しっきの さとに たらめたぶ |
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野口英世記念館に寄って、ガスたちこめる夜の山路を、後部座席もシートベルトを
締め長い緊張のすえ、無事に娘の家へ帰り着く。 |
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六日はゆるりと水戸光圀卿の西山荘へ、熊野杉の茂りの中に、くぬぎ門と草ぶきの
質素な住まい、庭に茨が咲き、丸窓の書斎から、黄門さまが出て来そうな静けさ。 |
茅棟に鳶尾咲かせ山ふところ |
かやむねに いちはつ さかせ やまふところ |
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道路地図に行き詰まりながら「袋田の滝」に着く。吊橋の揺れも心地よく、
滝トンネルを抜けると、四段に分かれて落下するのを見る。 |
朝摘みの山菜並べ滝見茶屋 |
.あさつみの さんさい ならべ たきみじゃや |
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夜は、明日から又別々の生活に戻るので、網元でもある大津港の民宿に、
一族うち揃って海の幸を食べ旅の思い出を積む。 |
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七日、東京、上野、アメ横と歩き、晴天に恵まれたことを感謝しながら
空路帰着した。 |
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